フィットネス業界大手「ルネサンス」の歴代社長。創立者・斎藤敏一氏、現在の望月美佐緒など。評価・評判・実績の一覧。

就任期間 名前 評判
2025年4月1日
望月美佐緒
(もちづき・みさお)
※初の女性社長。トレーナーからの叩き上げ。創立者・斎藤敏一氏が代表権を返上し、完全に新しい体制に移行。
評判▼
2020年6月16日
~2025年3月
岡本利治
(おかもと・としはる)
※テニスコーチからのたたき上げ。前社長の急死を受けて就任。コロナ禍の厳しい時代を乗り切った。東急オアシスを買収し、総合フィットネスで業界1位に
評判▼
2020年4月1日
~2020年6月15日
髙﨑尚樹
(たかざき・なおき)
※社長就任から3か月で肺がんにより死去
評判▼
2011年4月1日
~2020年3月
吉田正昭
(よしだ・まさあき)
※エグザス出身。フィットネス業界一筋。コナミスポーツ専務まで上り詰め、ルネサンスに移籍。9年間社長
評判▼
2008年4月1日
~2011年3月
唐木康正
(からき・やすまさ)
※三菱銀行でエリート街道を走った敏腕バンカー。50歳で東京三菱銀行の取締役に。ルネサンスの株価急落と業績悪化を受け、社長として迎えられた。
評判▼
1992年6月
~2008年3月
斎藤敏一
(さいとう・としかず)
※創立者。プライベートの趣味としてカルチャー教室などを立ち上げた後、社内ベンチャーとしてテニス教室を企画。総合スポーツクラブへと拡大させた。
評判▼
1988年
~1992年6月
廣田光男
(ひろた・みつお)
※DIC常務との兼務
評判▼
1985年
~1988年
岡田敏
※DIC常務との兼務
評判▼
1982年8月
~1985年
入江英俊
(いりえ・ひでとし)
※DIC常務との兼務。創立者・斎藤敏一氏の後見人。DIC社長を説得してルネサンス立ち上げへと導いた。運営は斎藤氏に任せた。
評判▼

アテル投資顧問のフィットネス業界の株価データなどによると、ルネサンスはDIC(大日本インキ化学工業)の社内ベンチャーとして1979年に発足。当初はテニススクール(テニスクラブ)としてスタートし、総合スポーツクラブに転換した。現在もDICが筆頭株主。
参考:
・中村芳平著「遊びをせんとや生まれけむ:スポーツクラブ ルネサンス創業会長 斎藤敏一の挑戦
フィットネス業界ランキング


ルネサンス歴代社長

望月美佐緒(9代)

望月美佐緒

※初の女性社長。店舗トレーナーからのたたき上げ。創立者の斎藤敏一氏が代表権を返上し、完全に新しい経営体制がスタート。

期間

2025年4月1日~現在

読み方

もちづき・みさお

生まれ

1962年3月15日

社長就任時の年齢

62歳

社長就任前の役職

副社長(ヘルスケア事業本部長)

前任者の新ポスト

岡本社長は代表権のある会長に。

他の主な役員人事

斎藤敏一・代表取締役会長は取締役名誉会長に(代表権を返上)

入社年次

1987年12月

出身校

大阪体育大学(体育学部)
※1984年(昭59年)卒業

略歴

大阪の「Doスポーツプラザ心斎橋」にトレーナーとして入社。
※Doスポーツプラザ心斎橋を運営する永新不動産に入社。同店舗のアスレチック課勤務。
体調を壊して退職。

1987年4月、専門学校「ヒューマンライク総合学園」内の「日本ヘルス&スポーツ学院」で講師

1987年、ルネサンスに入社(転職)。フィットネストレーナーに

1992年5月、人事教育部 スーパーバイザー
※「ホテルニューオータニ大阪」のジムを運営していたルネサンスと縁があった。当初の所属は別会社「ルネサンス企画」だった。ルネサンス企画とはトレーナーの派遣業務を行っていた子会社。後にルネサンスと合併した。

営業サポート部部長代理
教育部部長、品質管理部部長などを歴任

2005年、執行役員。新規事業開発や人材育成などを担当

トレーナーを務めながら本部の経営にも関わった。買収したジムの業務を標準化。

髙﨑尚樹氏が一から始めたヘルスケア分野を担当。

2017年、常務 (健康ソリューション本部の副本部長、商品研究開発部長。シナプソロジー研究所長)
※シナプソロジー研究所とは 「シナプソロジー」とは、脳を活性化して心も体も健康にしようというプログラム。 手足を左右非対称に動かしたり、スカーフやお手玉など簡単な道具を使ったりして五感を刺激する。 2012年4月から、全国80のクラブでスタジオやプールでの運動に取り入れた。 気分が爽快になり、集中力が高まると好評だった。 提携するリハビリ関連施設などにも導入を進めた。

2020年6月、取締役

2023年、副社長

出身地

大阪府出身

学生時代

大学4年時にハンドボール部女子でインカレ準優勝。

会社以外での役職

シナプソロジー研究所長

東海大学健康学部客員教授

動画

岡本利治(8代)

岡本利治

※テニスコーチからのたたき上げ。前社長の急死を受けて就任。コロナ禍の厳しい時代を乗り切った。東急オアシスを買収し、総合フィットネスで業界1位に

期間

2020年6月16日~2025年3月

読み方

おかもと・としはる

生まれ

1957年7月16日

社長就任時の年齢

62歳

社長就任前の役職

副社長

出身校

西南学院大学(法学部)卒業

略歴

1980年、西南学院大学(法学部)卒

福岡春日ローンテニスクラブ入社。

1983年5月、ルネサンス入社
※ルネサンス創業3年目。「ルネサンス香椎」(福岡市)開業にあたり、テニスコーチとしてルネサンス入社。

テニスヘッドコーチ、支配人、営業部長などを歴任。

2008年、取締役

2011年4月、常務(営業本部長)

2020年4月、副社長

実績

東急オアシス買収

  • 店舗を持っていなかった大阪の中心部に進出を果たした。
  • 2023年6月、神奈川県の相模大野店から撤退==>居ぬきで「ココカラ」が、2024年2月オープン

出身地

福岡県出身

動画

髙﨑尚樹(7代)

髙﨑尚樹

※正式な漢字は髙﨑尚樹。簡易語だと高崎尚樹

※社長就任から3か月で死去(肺がん)

期間

2020年4月1日~2020年6月15日

読み方

たかざき・なおき

生まれ

1960年7月26日

社長就任時の年齢

59歳

前任者の新ポスト

吉田正昭社長は取締役顧問に

略歴

1985年、ダイエーレジャーランド入社。
※ゲームセンターとスポーツ施設の運営会社

1994年6月、ルネサンス入社(転職)営業部長

2003年4月 経営企画部長

2008年、取締役 営業副本部長

2008年10月、ヘルスケア事業本部長(新設されたヘルスケア事業本部の初代本部長)

2011年4月、常務(ヘルスケア事業本部長を継続)

2016年、専務(ヘルスケア事業担当 新業態・新規事業担当)

2018年4月、健康ソリューション本部長

出身地

岐阜県

死去

2020年6月15日に死去(肺がん)

吉田正昭(6代)

吉田正昭

※エグザス出身。フィットネス業界一筋。コナミスポーツ専務まで上り詰め、ルネサンスに移籍。9年間社長

期間

2011年4月1日~2020年3月

読み方

よしだ・まさあき

生まれ

1956年7月13日

社長就任時の年齢

54歳

社長就任前の役職

専務

前任者の新ポスト

唐木社長はエムエスティ保険サービス(三菱東京UFJ銀行系列)会長に

人事の背景

唐木氏が三菱東京UFJ銀行グループへ戻ることが決まったことを受けて、昇格

入社年次

2004年

出身校

私立大阪高校卒業

京都産業大学(経済学部)卒業

略歴

大学時代はフェンシングに打ち込んだスポーツマンだった。

1979年のピープル(エグザス運営会社/現コナミスポーツ)に新卒で入社。

ピープル(エグザス運営会社)は当時、マイカル(現・イオンリテール)の子会社だった。

水泳コーチ、店舗の支配人、営業部長などを歴任。

ピープル社長の堀山修一から高く評価されていた。

取締役(人事部長)に抜擢。

ピープルが2001年にコナミに買収された後も昇格を続けた。

2003年から専務(事業開発本部長)を務めた。

考え方の違いもあり、2004年にコナミスポーツを退任した。

斎藤氏はピープル創業者・堀山氏を通じて吉田氏とは面識があった。

そこで、ルネサンスに迎え入れた。

2004年10月にルネサンスに入社。執行役員(営業副本部長)に。

常務(営業本部長)

2009年から取締役専務(営業本部長)

出身地

大阪府高槻市

座右の銘、モットー

虚心坦懐(きょしんたんかい)

実績

  • スタジオ・プログラムの提供元をレスミルズ(レズミルズ)からMOSSA(モッサ)に切り替え
  • 2016年、東京・渋谷にレスミルズ専用のスタジオ「サイクル&スタジオ・アール渋谷」(CYCLE & STUDIO R Shibuya、東京都渋谷区宇田川町23-3 渋谷第一勧銀共同ビル5階)を開設した。しかし、すぐ撤退した。
    ※2017年3月開店→2019年3月5日リニューアル再開店→2020年8月末閉店
  • 暗闇レッスンを導入
  • 全国的にホットヨガ導入==>おおむね失敗(港南台、港南中央など)
  • ディープワーク導入==>すぐに撤退
  • 24時間営業の導入

会社以外での役職(退任後)

日本フィットネス産業協会専務理事

日本フィットネス産業協会会長

動画

唐木康正(5代)

唐木康正

※三菱銀行でエリート街道を走った敏腕バンカー。50歳で東京三菱銀行の取締役に。ルネサンスの株価急落と業績悪化を受け、社長として迎えられた。

期間

2008年4月1日~2011年3月

読み方

からき・やすまさ

生まれ

1948年9月6日

社長就任時の年齢

59歳

社長就任前の役職

DIC常務

入社年次

2007年

出身校

慶応大学(法学部)卒業

略歴

DIC常務からルネサンス社長へ

唐木は社長に選ばれた当時、DIC常務であり、大阪支社長も務めていた。

唐木は1971年、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。50歳で取締役。

「丸の内よろず」社長を経て2003年6月にDICに取締役として迎え入れらた。

1948年9月6日、長野県生まれ

1971年3月 慶応大学(法学部)卒業

1971年4月 三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)入行

1993年、本店営業第一部副部長

1994年、総務部副部長

1997年、関西支店部長

1997年、営業第一本部営業第三部長

1996年4月、東京銀行と三菱銀行が合併し、東京三菱銀行の総務部副部長

1999年6月、取締役(当時50歳)

1999年7月、取締役 総務部長

1999年 取締役営業第一本部営業第三部長。

2001年5月24日 取締役総務室長から本部賛事役

2001年6月 丸の内よろず社長

2003年6月 DIC取締役

2006年6月 DIC常務

2007年6月 ルネサンス取締役(DIC常務と兼務)

2008年4月1日~2011年4月1日 ルネサンス社長

2011年6月28日 エムエスティ保険サービス(三菱東京UFJ銀行系列)会長

2011年6月24日、新東工業の監査役

2016年9月21日、エムエスティ保険サービス会長を退任

2019年6月21日、新東工業の監査役から取締役に就任

2021年6月22日、新東工業取締役を退任

就任前の実績・評価・評判・口コミ

三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)で、営業、審査、人事、総務などの国内部門を歴任した。「難局において無心に信じる道を突き進む勇気」「環境の変化を受容する人間的器」「周囲を魅了する高潔な人格」の持ち主だとして評価された。

出身地

長野県

実績

いきなりリーマン・ショック

唐木氏はルネサンス社長就任後。いきなりリーマン・ショックに見舞われた。

もともと低迷気味だった株価は300円を割り込んだ。その後も株価は浮上せず、2011年の東日本大震災の後の3月15日には、上場来最安値の213円を付けた。

最後まで株価低迷に苦しめられたが、フィットネス業界全体が沈む中で、会社を生き残らせただけでも立派な功績だ。

経営改革

ルネサンスはそれまで、斎藤氏個人のサークル活動の延長のような雰囲気が残っていた。唐木氏は、大企業らしいマネジメント体制の構築に尽力した。銀行マンならでは経営管理力や几帳面さを発揮した。

趣味(社長就任時)

美術鑑賞、茶道

斎藤敏一(4代/創立者)

斎藤敏一

創立者。プライベートの趣味としてカルチャー教室などを立ち上げた後、社内ベンチャーとしてテニス教室を企画。総合スポーツクラブへと拡大させた。
DIC常務が、3代続けて社長を兼務してきたが、ついに実質的な運営責任者である斎藤敏一氏が社長に就任した。

期間

1992年6月~2008年3月

読み方

さいとう・としかず

別の漢字

斉藤敏一

社長就任時の年齢

47歳

略歴

2006年に株価2000円を突破

ジャスダックに上場してから東証2部上場を経て2006年3月に東証1部に昇格。株価は2006年7月には最高値の2390円をつけた。

しかし、2006年度の下半期は大幅な業績ダウンとなった。

株価急落と後任選定

その後、株価急落に見舞われた。2008年1月23日には400円を割り込んだ。

斎藤氏は親会社DICとともに、後任社長の選定に入る。

その結果、DIC常務で、三菱銀行出身の唐木康正氏に白羽の矢が立った。

学生時代

大河原中学2年で、柔道初段・黒帯を取得

仙台二高で文芸部の部長

京都大学フォークダンス部

大学3年から社交ダンス部

斎藤敏一氏のプロフィール

略歴・活動
1944年6月18日
(昭和19年)
仙台で生まれる。
※宮城県仙台市若林区連坊小路(れんぼうこうじ)出身
1967年 京都大学工学部卒業、大日本インキ化学工業(現・DIC)入社。
スイス連邦工科大学へ留学
1969年 スイスから帰国
1979年 社内ベンチャーで健康スポーツ事業(テニススクール)を起こす。
1982年 大日本インキ化学工業の100%子会社としてディッククリエーション設立
1987年 1号店のルネサンス水戸オープン
1991年 ルネサンス早稲田をオープン
1992年 ディッククリエーションを、ディックルネサンスに社名変更。
社長就任
2003年 ディックルネサンスを、ルネサンスに社名変更。
ジャスダック(店頭)市場に上場
2006年 ルネサンス東証1部に上場
2008年 ルネサンス会長就任
2012年 リハビリ特化型デイサービスを開業
ルネサンスリハビリセンター大船をオープン
技術畑からの転換

斎藤敏一氏は宮城県出身。もともと、理系出身だった。 配属も研究所の次は、技術部という至極当然のコースだった。 ところが技術者の仕事よりも、人間相手の方がきちっとした反応があって、やりがいがあるし、自分にあっていると思うようになったという。

海外事業部へ異動

要するに「商売」に興味を持ったのだ。希望を出して海外事業部に異動させてもらった。それが健康産業に進出するきっかけとなった。

テニススクール(テニスクラブ)として発足

業種としてテニススクール(テニスクラブ)を選んだのは、親会社である大日本インキと何らかの接点がないと役員の理解を得られないと考えたからだ。 コートの素材とシューズの底に大日本インキが扱っていたウレタン樹脂が使われていた。 このため、理屈付けが可能だった。 「失敗したら福利厚生施設として再利用すればいい」ぐらいの感覚が当時の親会社のトップにもあったようだ。 当時は高度成長期だったため、発想にも余裕があったのだ。

テニスコートにプールを併設

千葉・幕張のボウリング場跡地を利用してテニスコートを8面つくった。当時のテニスブームにも乗って、スタート時に会員数が3300人、すぐに4000人に達した。 しかし、このままテニスだけでやっていくのは危険だと直感的に思ったという。 そこで、コート2面をつぶしてプール、スカッシュコートなどをつくって複合化路線に転換した。

社名の由来

イタリアでルネッサンス文化に触れる

斎藤氏は大日本インキ入社後に海外留学した経験があった。その際にイタリア・フィレンツェを訪れ、ルネッサンス(文芸復興)のヒューマニズムに魅了されたことが、ルネサンスの社名につながった。

学生時代の卒業研究で、スイスから来た客員教授にお世話になったという。 その人がスイス連邦工業大学にいる自分の指導教授に斎藤氏のことを推薦してくれた。 そこで、就職は国内留学制度のある大日本インキを選んだ。 入社後、国内の留学制度を、海外にも拡大してもらった。

入社後2年間はスイス留学

入社後、すぐにスイスに渡り、2年間を過ごした。イタリア人と友達になり、彼の故郷であるフィレンツェを訪ね、一緒に美術館などを見て歩いた。

社名に「ヒューマニズム(人間性)回復」の意味

ルネサンスは、それまでの中世のキリスト教文明から人間を解放する運動だ。斎藤氏はルネサンスを「文芸復興」ではなく、「人間性回復」と言い換えていた。会社の名前にも、その気持ちが込めた。

斎藤敏一

▲斎藤敏一氏

動画(2020年10月)

廣田光男(3代)

※DIC常務との兼務

期間

1988年~1992年6月

読み方

ひろた・みつお

実績

バブルが本格化すると、多くの企業にとって「保有する土地の有効活用」が喫緊の課題となった。その一環として、工場の敷地や駐車場などを使って、スポーツ施設をつくることが一つの潮流になった。

ニットーボースポーツ(現ルネサンス福島店)の管理を請け負う

日東紡績は1989年(平成元年)、福島市の福島工場の敷地内に、スポーツクラブを建設した。スポーツ、健康、カルチャーを目的に直轄事業としてスタートさせた。ルネサンスは管理運営を請け負った。

用地は約7000平方メートル。1部2階建て延べ約4900平方メートルの施設を建設した。内容はスタジオ、トレーニングジム、室内テニスコート3面、スカッシュコート3面、室内ゴルフクリニック。さらに、工場から出る温熱を利用した室内プール、サウナ、風呂など。また、各種カルチャー教室用の多目的ルームを併設した。 室内テニスコート屋根には、日東紡績の自社製品の「グラスファイバーフッ素樹脂処理膜」を使用。東京ドームに似た構造とした。

投下資金は約11億円。会員数についてはオープン1年後に、スクールとクラブそれぞれ1500人を見込んだ。当初の売上目標としては、開設3年目をメドに年間3億円を目指した。

日東紡績は当時、「不動産活用推進室」を設けて新規事業を展開していた。1988年4月には、静岡工場グラウンドを利用してゴルフ練習場をオープンさせて成功させた。

岡谷鋼機の駐車場(ルネサンス名古屋熱田)

岡谷鋼機(名古屋市)は1990年11月、月ぎめ駐車場だった名古屋市熱田区の土地に、ジムをつくった。

名古屋の市営地下鉄「高蔵駅」駅前の約4200平方メートル。ルネサンスは、岡谷鋼機から経営を受託した。

正会員3000人を目指した。

建物は3階建て。延べ5290平方メートル。総工費は約10億円。施設内容は屋内テニスコート3面、スカッシュコート2面、25メートルプールなど。

ルネサンスにとって4か所目の総合フィットネス施設だった。

岡田敏(2代)

※DIC常務との兼務

期間

1985年~1988年

実績

バブルの波に乗る

「調査・企画」を担当

ルネサンスは、バブル初期の波に乗った。数々の大規模プロジェクトに参加するようになる。単独で手掛けるのではなく、複数の企業や自治体と組んだ。主に「調査・企画・コンサル」を業務とした。テニス教室やフィットネス施設のノウハウが生かされた。

長崎・伊王島

長崎県の伊王島(いおうじま、現在は長崎市)におけるリゾート事業に参加した。

長崎県の県工業団地62ヘクタールを商業用に転用した。テニスコート、プール、音楽ホール、ホテルなどを整備するプロジェクトだった。

1988年6月、地元企業「松早石油(現マツハヤ・コーポレーション)」、ルネサンス、長崎県、伊王島町などで第3セクター「伊王島スポーツリゾート開発」設立。ルネサンスは、調査・企画を担当した。

このプロジェクトの主要事業として、スポーツ施設「ルネサンス長崎・伊王島」ができた。

長崎港の南西10キロに浮かぶ伊王島(いおうじま、長崎市)は1972年に炭鉱が閉山して以来、人口が激減。衰退していた。

斎藤氏は1987年春に初めて伊王島を訪れた。長崎市から30分の近さと緑に、「いける」と直感したという。ルネサンスがまとめた調査企画書では事業費は66億円。近郊住民が利用するリゾートを描き、地元企業の参画を求めた。

1年余りでオープンした。急激な変化に戸惑う地元に、会社側は町民向けテニス教室や小中学生の授業へのプール開放など配慮を重ねた。

入江英俊(初代)

※DIC常務との兼務。創立者・斎藤敏一氏の後見人。DIC社長を説得してルネサンス立ち上げへと導いた。運営は斎藤氏に任せた。

読み方

いりえ・ひでとし

出身校

東京工業大学卒業

略歴

1951年、DIC入社

1978年、DIC樹脂事業部長

1979年7月、DIC取締役

1981年6月、DIC常務

1982年8月、ルネサンス初代社長(DIC常務と兼務)

実績

斎藤敏一の師匠に

1960年代後半、DICの欧州の責任者を務める。

肩書きは、ドイツの工業都市デュッセルドルフでDIC駐在事務所所長。

入社後にスイスに社費留学(スイス連邦工大学の研究室)してきた新入社員の斎藤敏一氏と知り合いになる。 ここで師弟関係が築かれた。

1970年4月、ドイツから帰国。

石油化学事業部長、企画部長を歴任後、海外事業部長に就任。

海外事業部長として斎藤氏を受け入れる

1975年、斎藤敏一氏は、化学技術者の道を捨てて、海外事業部への異動を希望してきた。懐の深い入江氏はこれを受け入れた。

さらに1977年、斎藤を海外事業部の営業課から海外事業部の企画課に異動させる。斎藤がプライベートで副業として行っていたカルチャースクール運営事業を、社内の新規ビジネスとして企画させるためだった。

樹脂事業部長として新会社立ち上げ

その後、入江氏は、ウレタンなどを手掛ける樹脂事業部長に異動。すると、斎藤氏は新規ビジネスの提案の軸を「屋内(インドア)テニス教室」に据えた。ウレタンはテニスコートの床面に使われるため、屋内テニス教室の普及は「ウレタン販売促進につながる」というもっとらしい理由が付けられるからだ。

室内テニス教室の立ち上げを、川村茂邦社長が了承

1978年、樹脂事業部の新規事業として、室内テニス教室事業を取締役会に提案する。3代目社長の川村茂邦氏が了承した。

1978年10月、DIC新会社「ディックプルーフィング」が設立される。ウレタンの防水材や舗装材などの販売が目的だった。樹脂事業部の傘下の子会社だった。入江氏が事実上の経営者となった。

1979年4月、この新会社内にスポーツ事業部が設置され、テニス教室を管轄することになった。

斎藤はDICから出向する形でスポーツ事業部企画室長に就任した。

入江氏は1979年7月、DIC取締役に昇格。

千葉・幕張に1号店

1979年10月、千葉市幕張にテニススクール1号店をオープン。斎藤氏が自分で見つけたボウリング場跡地の物件だった。

1980年、東京・蒲田に2号店。続いて1981年に千葉県の袖ケ浦、1982年に福岡市の香椎(かしい)にオープン。

1981年6月から常務。

ルネサンス(ディッククリエーション)設立

1982年8月、「ディックプルーフィング」からテニス教室事業を独立する形で新会社「ディッククリエーション(後のルネサンス)」を設立。入江氏が初代社長に就任する。DIC常務との兼務。

斎藤氏は企画室長(兼支配人)に就任。

テニス教室を多角化させ、総合フィットネス施設に

1981年、千葉・幕張店のコート2面をつぶし、プールを開設する。

さらに後日、建物3階を改装し、ジムやスタジオを併設。スカッシュコートも追加した。

これによって多角的な総合フィットネス施設(スポーツクラブ)へと脱皮した。東京・晴海のドゥスポーツがお手本になったという。

系列企業の社長に

入江氏は1985年6月28日、「日本バイリーン」社長に就任。59歳。

日本バイリーンは、不織布メーカーである。当時は大日本インキの系列だった。前任社長の猪股啓二氏も、この6年前にDIC専務から日本バイリーンに移籍し、社長を2期4年務めた。猪股氏が70歳になったことから若返りを図るために入江氏が社長に就き、猪股社長は会長に就任。

死去

1991年6月17日午前5時40分、呼吸不全のため横浜市南区の病院で死去。享年65歳。

大日本インキの社内ベンチャー

ルネサンスは大日本インキ化学工業(DIC)の企業内ベンチャーとして1979年(昭和54年)に立ち上がった。 立ち上げた人物が、大日本インキの社員だった斎藤敏一氏だ。 最初はインドアテニスからスタートした。 その後、複合スポーツクラブへと転換した。

1982年設立

1982年に法人化した。 ディッククリエーション(現ルネサンス)という会社として設立された。 1991年、肩代わり運営1号店の「スポーツクラブ ルネサンス早稲田」をオープンした。 斎藤氏は2008年に会長になるまで社長だった。

2003年上場

2003年12月にジャスダック(店頭)市場に上場した。 IPOの目的は5つあった。

  • 資金調達を多様かつ容易に行えるようにする。
  • ブランドイメージを高め、よりよい人材を確保する。
  • スポーツクラブと医療とのコラボレーションを進める。
  • 土地オーナーらパートナーに対する信用を高める。
  • 立地物件の情報収集力を強める。

シニアの会員比率が高い

「ルネサンス」は高齢者(シニア)の会員比率が高いのが特徴だ。60歳以上の割合は1994年(平成6年)は3.3%に過ぎなかったが、上場したころには20%に達した。

平日昼間は高齢者

もともと、高齢者の比率を高めようと狙っていた。 高齢者は退会率が低い。しかも、平日の昼間の利用がほとんど。サラリーマンやOLとのタイムシェアができ、施設の有効利用ができる。 団塊の世代が定年を迎えることで、ますます高齢者のシェアは上がることを期待した。


ルネサンスとは

大日本インキ化学工業の社内ベンチャーから始まった。首都圏を中心にスポーツ施設の運営を手がける。退会率の低い高齢者に着目、シニア会員の会費割引サービスや高齢者向けプログラム開発などを導入した。 本社は東京都墨田区。