ルネサンス

スポーツクラブ業界3位の大手ジム「ルネサンス」の歴史に関するページです。ルネサンスは大日本インキ化学工業(現在のDIC株式会社)の社内ベンチャーとして1979年に発足(創業)。当初はテニススクール(テニスクラブ)としてスタートし、スポーツクラブに転換しました。社名の意味は「ヒューマニズム回復」です。ニュースやインタビュー記事を紹介します。

ルネサンス設立の中心となった斎藤敏一社長(59)インタビュー

2004年1月28日、読売新聞

2003年上場のスポーツクラブ

2003年12月にジャスダック(店頭)市場への上場を果たしました。目的は3つです。まず、資金調達を多様かつ容易に行えるようにすること。2つ目には、ブランドイメージを高め、よりよい人材を確保すること。そして、上場することで情報のチャンネルを増やすことです。今後、スポーツクラブと医療とのコラボレーションを進めるために、いずれも必要だと考えました。

大日本インキの社内ベンチャー

《ルネサンスは大日本インキ化学工業の企業内ベンチャーとして1979年(昭和54年)に斎藤社長が立ち上げた。最初はインドアテニスからスタートして、その後、複合スポーツクラブへと転換。今では全国に67の施設を持つ》

技術畑からの転換

もともと、理系出身で、配属も研究所の次は、技術部という至極当然のコースでした。ところが技術者の仕事よりも、人間相手の方がきちっとした反応があって、やりがいがあるし、自分にあっていると思うようになりました。

海外事業部へ異動

ようは商売をやってみたいと思ったのです。希望を出して海外事業部に異動させてもらいました。それが健康産業に進出するきっかけとなりました。

テニススクール(テニスクラブ)として発足

業種としてテニススクール(テニスクラブ)を選んだのは、親会社である大日本インキと何らかの接点がないと役員の理解を得られないと考えたからです。コートの素材とシューズの底に大日本インキが扱っていたウレタン樹脂が使われており“理屈付け”も可能でした。「失敗したら福利厚生施設として再利用すればいい」ぐらいの感覚が当時の親会社のトップにもあったような気がします。今とは違って高度成長期でしたからね。

テニスコートにプールを併設

千葉・幕張のボウリング場跡地を利用してテニスコートを8面つくりました。当時のテニスブームにも乗って、スタート時に会員数が3300人、すぐに4000人に達しました。でも、このままテニスだけでやっていくのは危険だと直感的に思いました。そこで、コート2面をつぶしてプール、スカッシュコートなどをつくって複合化路線に転換したのです。

イタリアでルネッサンス文化に触れる

《斎藤社長は大日本インキ入社後に海外留学。その際にイタリア・フィレンツェを訪れ、ルネッサンス(文芸復興)のヒューマニズムに魅了されたことが、現在の社名につながっている》

学生時代の卒業研究で、スイスから来た客員教授にお世話になったのですが、その人がスイス連邦工業大学にいる自分の指導教授に私のことを推薦してくれました。そこで、就職は国内留学制度のある大日本インキを選び、それを海外に応用してもらったのです。もちろん入社試験では、そんなことは、おくびにも出しませんでしたけどね。

入社後2年間はスイス留学

入社後、すぐにスイスに渡り、2年間を過ごしました。イタリア人と友達になり、彼の故郷であるフィレンツェを訪ね、一緒に美術館などを見て歩きました。

社名に「ヒューマニズム(人間性)回復」の意味

ルネサンスは、それまでの中世のキリスト教文明から人間を解放する運動です。ですから、私はルネサンスを「文芸復興」ではなく、「人間性回復」と言い換えています。会社の名前にも、その気持ちが込められているのです。

シニアの会員比率が高い

《「ルネサンス」は高齢者(シニア)の会員比率が高いのが特徴。60歳以上の割合は1994年(平成6年)は3.3%に過ぎなかったが、現在は20.0%を占めている》

平日昼間は高齢者

もともと、高齢者の比率を高めようと狙っていました。というのも高齢者は退会率が低いし、平日の昼間の利用がほとんど。サラリーマンやOLとのタイムシェアができ、施設の有効利用ができるんです。今後、団塊の世代が定年を迎えることで、ますます高齢者のシェアは上がるとみています。

ルネサンスとは

大日本インキ化学工業の社内ベンチャーから始まった。首都圏を中心にスポーツ施設の運営を手がける。退会率の低い高齢者に着目、シニア会員の会費割引サービスや高齢者向けプログラム開発などを導入している。2003年(平成15年)3月期の連結売上高は約210億円。本社は東京都墨田区。従業員数は387人のほか、臨時雇用が1500人弱。