フィットネス業界大手「ルネサンス」の歴代社長。創立者・斎藤敏一氏、現在の望月美佐緒など。評価・評判・実績の一覧。
| 就任期間 | 名前 | 評判 |
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2025年4月1日 ~ |
望月美佐緒 (もちづき・みさお) ※初の女性社長。トレーナーからの叩き上げ。創立者・斎藤敏一氏が代表権を返上し、完全に新しい体制に移行。 |
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2020年6月16日 ~2025年3月 |
岡本利治 (おかもと・としはる) ※テニスコーチからのたたき上げ。前社長の急死を受けて就任。コロナ禍の厳しい時代を乗り切った。東急オアシスを買収し、総合フィットネスで業界1位に |
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2020年4月1日 ~2020年6月15日 |
髙﨑尚樹 (たかざき・なおき) ※社長就任から3か月で肺がんにより死去 |
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2011年4月1日 ~2020年3月 |
吉田正昭 (よしだ・まさあき) ※エグザス出身。フィットネス業界一筋。コナミスポーツ専務まで上り詰め、ルネサンスに移籍。9年間社長 |
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2008年4月1日 ~2011年3月 |
唐木康正 (からき・やすまさ) ※三菱銀行でエリート街道を走った敏腕バンカー。50歳で東京三菱銀行の取締役に。ルネサンスの株価急落と業績悪化を受け、社長として迎えられた。 |
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1992年6月 ~2008年3月 |
斎藤敏一 (さいとう・としかず) ※創立者。プライベートの趣味としてカルチャー教室などを立ち上げた後、社内ベンチャーとしてテニス教室を企画。総合スポーツクラブへと拡大させた。 |
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1988年 ~1992年6月 |
廣田光男 (ひろた・みつお) ※DIC常務との兼務 |
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1985年 ~1988年 |
岡田敏
※DIC常務との兼務 |
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1982年8月 ~1985年 |
入江英俊 (いりえ・ひでとし) ※DIC常務との兼務。創立者・斎藤敏一氏の後見人。DIC社長を説得してルネサンス立ち上げへと導いた。運営は斎藤氏に任せた。 |
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アテル投資顧問のフィットネス業界の株価データなどによると、ルネサンスはDIC(大日本インキ化学工業)の社内ベンチャーとして1979年に発足。当初はテニススクール(テニスクラブ)としてスタートし、総合スポーツクラブに転換した。現在もDICが筆頭株主。
参考:
・中村芳平著「遊びをせんとや生まれけむ:スポーツクラブ ルネサンス創業会長 斎藤敏一の挑戦」
・フィットネス業界ランキング
ルネサンス歴代社長
望月美佐緒(9代) |
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※初の女性社長。店舗トレーナーからのたたき上げ。創立者の斎藤敏一氏が代表権を返上し、完全に新しい経営体制がスタート。 期間2025年4月1日~現在 読み方もちづき・みさお 生まれ1962年3月15日 社長就任時の年齢62歳 社長就任前の役職副社長(ヘルスケア事業本部長) 前任者の新ポスト岡本社長は代表権のある会長に。 他の主な役員人事斎藤敏一・代表取締役会長は取締役名誉会長に(代表権を返上) 入社年次1987年12月 出身校大阪体育大学(体育学部)
略歴大阪の「Doスポーツプラザ心斎橋」にトレーナーとして入社。
1987年4月、専門学校「ヒューマンライク総合学園」内の「日本ヘルス&スポーツ学院」で講師 1987年、ルネサンスに入社(転職)。フィットネストレーナーに 1992年5月、人事教育部 スーパーバイザー
営業サポート部部長代理
2005年、執行役員。新規事業開発や人材育成などを担当 トレーナーを務めながら本部の経営にも関わった。買収したジムの業務を標準化。 髙﨑尚樹氏が一から始めたヘルスケア分野を担当。 2017年、常務
(健康ソリューション本部の副本部長、商品研究開発部長。シナプソロジー研究所長)
2020年6月、取締役 2023年、副社長 出身地大阪府出身 学生時代大学4年時にハンドボール部女子でインカレ準優勝。 会社以外での役職シナプソロジー研究所長 東海大学健康学部客員教授 動画 |
岡本利治(8代) |
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※テニスコーチからのたたき上げ。前社長の急死を受けて就任。コロナ禍の厳しい時代を乗り切った。東急オアシスを買収し、総合フィットネスで業界1位に 期間2020年6月16日~2025年3月 読み方おかもと・としはる 生まれ1957年7月16日 社長就任時の年齢62歳 社長就任前の役職副社長 出身校西南学院大学(法学部)卒業 略歴1980年、西南学院大学(法学部)卒 福岡春日ローンテニスクラブ入社。 1983年5月、ルネサンス入社
テニスヘッドコーチ、支配人、営業部長などを歴任。 2008年、取締役 2011年4月、常務(営業本部長) 2020年4月、副社長 実績東急オアシス買収
出身地福岡県出身 動画 |
髙﨑尚樹(7代) |
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※正式な漢字は髙﨑尚樹。簡易語だと高崎尚樹 ※社長就任から3か月で死去(肺がん) 期間2020年4月1日~2020年6月15日 読み方たかざき・なおき 生まれ1960年7月26日 社長就任時の年齢59歳 前任者の新ポスト吉田正昭社長は取締役顧問に 略歴1985年、ダイエーレジャーランド入社。
1994年6月、ルネサンス入社(転職)営業部長 2003年4月 経営企画部長 2008年、取締役 営業副本部長 2008年10月、ヘルスケア事業本部長(新設されたヘルスケア事業本部の初代本部長) 2011年4月、常務(ヘルスケア事業本部長を継続) 2016年、専務(ヘルスケア事業担当 新業態・新規事業担当) 2018年4月、健康ソリューション本部長 出身地岐阜県 死去2020年6月15日に死去(肺がん) |
吉田正昭(6代) |
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※エグザス出身。フィットネス業界一筋。コナミスポーツ専務まで上り詰め、ルネサンスに移籍。9年間社長 期間2011年4月1日~2020年3月 読み方よしだ・まさあき 生まれ1956年7月13日 社長就任時の年齢54歳 社長就任前の役職専務 前任者の新ポスト唐木社長はエムエスティ保険サービス(三菱東京UFJ銀行系列)会長に 人事の背景唐木氏が三菱東京UFJ銀行グループへ戻ることが決まったことを受けて、昇格 入社年次2004年 出身校私立大阪高校卒業 京都産業大学(経済学部)卒業 略歴大学時代はフェンシングに打ち込んだスポーツマンだった。 1979年のピープル(エグザス運営会社/現コナミスポーツ)に新卒で入社。 ピープル(エグザス運営会社)は当時、マイカル(現・イオンリテール)の子会社だった。 水泳コーチ、店舗の支配人、営業部長などを歴任。 ピープル社長の堀山修一から高く評価されていた。 取締役(人事部長)に抜擢。 ピープルが2001年にコナミに買収された後も昇格を続けた。 2003年から専務(事業開発本部長)を務めた。 考え方の違いもあり、2004年にコナミスポーツを退任した。 斎藤氏はピープル創業者・堀山氏を通じて吉田氏とは面識があった。 そこで、ルネサンスに迎え入れた。 2004年10月にルネサンスに入社。執行役員(営業副本部長)に。 常務(営業本部長) 2009年から取締役専務(営業本部長) 出身地大阪府高槻市 座右の銘、モットー虚心坦懐(きょしんたんかい) 実績
会社以外での役職(退任後)日本フィットネス産業協会専務理事 日本フィットネス産業協会会長 動画 |
唐木康正(5代) |
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※三菱銀行でエリート街道を走った敏腕バンカー。50歳で東京三菱銀行の取締役に。ルネサンスの株価急落と業績悪化を受け、社長として迎えられた。 期間2008年4月1日~2011年3月 読み方からき・やすまさ 生まれ1948年9月6日 社長就任時の年齢59歳 社長就任前の役職DIC常務 入社年次2007年 出身校慶応大学(法学部)卒業 略歴DIC常務からルネサンス社長へ唐木は社長に選ばれた当時、DIC常務であり、大阪支社長も務めていた。 唐木は1971年、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。50歳で取締役。 「丸の内よろず」社長を経て2003年6月にDICに取締役として迎え入れらた。 1948年9月6日、長野県生まれ 1971年3月 慶応大学(法学部)卒業 1971年4月 三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)入行 1993年、本店営業第一部副部長 1994年、総務部副部長 1997年、関西支店部長 1997年、営業第一本部営業第三部長 1996年4月、東京銀行と三菱銀行が合併し、東京三菱銀行の総務部副部長 1999年6月、取締役(当時50歳) 1999年7月、取締役 総務部長 1999年 取締役営業第一本部営業第三部長。 2001年5月24日 取締役総務室長から本部賛事役 2001年6月 丸の内よろず社長 2003年6月 DIC取締役 2006年6月 DIC常務 2007年6月 ルネサンス取締役(DIC常務と兼務) 2008年4月1日~2011年4月1日 ルネサンス社長 2011年6月28日 エムエスティ保険サービス(三菱東京UFJ銀行系列)会長 2011年6月24日、新東工業の監査役 2016年9月21日、エムエスティ保険サービス会長を退任 2019年6月21日、新東工業の監査役から取締役に就任 2021年6月22日、新東工業取締役を退任 就任前の実績・評価・評判・口コミ三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)で、営業、審査、人事、総務などの国内部門を歴任した。「難局において無心に信じる道を突き進む勇気」「環境の変化を受容する人間的器」「周囲を魅了する高潔な人格」の持ち主だとして評価された。 出身地長野県 実績いきなりリーマン・ショック唐木氏はルネサンス社長就任後。いきなりリーマン・ショックに見舞われた。 もともと低迷気味だった株価は300円を割り込んだ。その後も株価は浮上せず、2011年の東日本大震災の後の3月15日には、上場来最安値の213円を付けた。 最後まで株価低迷に苦しめられたが、フィットネス業界全体が沈む中で、会社を生き残らせただけでも立派な功績だ。 経営改革ルネサンスはそれまで、斎藤氏個人のサークル活動の延長のような雰囲気が残っていた。唐木氏は、大企業らしいマネジメント体制の構築に尽力した。銀行マンならでは経営管理力や几帳面さを発揮した。 趣味(社長就任時)美術鑑賞、茶道 |
廣田光男(3代) |
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※DIC常務との兼務 期間1988年~1992年6月 読み方ひろた・みつお 実績バブルが本格化すると、多くの企業にとって「保有する土地の有効活用」が喫緊の課題となった。その一環として、工場の敷地や駐車場などを使って、スポーツ施設をつくることが一つの潮流になった。 ニットーボースポーツ(現ルネサンス福島店)の管理を請け負う日東紡績は1989年(平成元年)、福島市の福島工場の敷地内に、スポーツクラブを建設した。スポーツ、健康、カルチャーを目的に直轄事業としてスタートさせた。ルネサンスは管理運営を請け負った。 用地は約7000平方メートル。1部2階建て延べ約4900平方メートルの施設を建設した。内容はスタジオ、トレーニングジム、室内テニスコート3面、スカッシュコート3面、室内ゴルフクリニック。さらに、工場から出る温熱を利用した室内プール、サウナ、風呂など。また、各種カルチャー教室用の多目的ルームを併設した。 室内テニスコート屋根には、日東紡績の自社製品の「グラスファイバーフッ素樹脂処理膜」を使用。東京ドームに似た構造とした。 投下資金は約11億円。会員数についてはオープン1年後に、スクールとクラブそれぞれ1500人を見込んだ。当初の売上目標としては、開設3年目をメドに年間3億円を目指した。 日東紡績は当時、「不動産活用推進室」を設けて新規事業を展開していた。1988年4月には、静岡工場グラウンドを利用してゴルフ練習場をオープンさせて成功させた。 岡谷鋼機の駐車場(ルネサンス名古屋熱田)岡谷鋼機(名古屋市)は1990年11月、月ぎめ駐車場だった名古屋市熱田区の土地に、ジムをつくった。 名古屋の市営地下鉄「高蔵駅」駅前の約4200平方メートル。ルネサンスは、岡谷鋼機から経営を受託した。 正会員3000人を目指した。 建物は3階建て。延べ5290平方メートル。総工費は約10億円。施設内容は屋内テニスコート3面、スカッシュコート2面、25メートルプールなど。 ルネサンスにとって4か所目の総合フィットネス施設だった。 |
岡田敏(2代) |
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※DIC常務との兼務 期間1985年~1988年 実績バブルの波に乗る「調査・企画」を担当ルネサンスは、バブル初期の波に乗った。数々の大規模プロジェクトに参加するようになる。単独で手掛けるのではなく、複数の企業や自治体と組んだ。主に「調査・企画・コンサル」を業務とした。テニス教室やフィットネス施設のノウハウが生かされた。 長崎・伊王島長崎県の伊王島(いおうじま、現在は長崎市)におけるリゾート事業に参加した。 長崎県の県工業団地62ヘクタールを商業用に転用した。テニスコート、プール、音楽ホール、ホテルなどを整備するプロジェクトだった。 1988年6月、地元企業「松早石油(現マツハヤ・コーポレーション)」、ルネサンス、長崎県、伊王島町などで第3セクター「伊王島スポーツリゾート開発」設立。ルネサンスは、調査・企画を担当した。 このプロジェクトの主要事業として、スポーツ施設「ルネサンス長崎・伊王島」ができた。 長崎港の南西10キロに浮かぶ伊王島(いおうじま、長崎市)は1972年に炭鉱が閉山して以来、人口が激減。衰退していた。 斎藤氏は1987年春に初めて伊王島を訪れた。長崎市から30分の近さと緑に、「いける」と直感したという。ルネサンスがまとめた調査企画書では事業費は66億円。近郊住民が利用するリゾートを描き、地元企業の参画を求めた。 1年余りでオープンした。急激な変化に戸惑う地元に、会社側は町民向けテニス教室や小中学生の授業へのプール開放など配慮を重ねた。 |
入江英俊(初代) |
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※DIC常務との兼務。創立者・斎藤敏一氏の後見人。DIC社長を説得してルネサンス立ち上げへと導いた。運営は斎藤氏に任せた。 読み方いりえ・ひでとし 出身校東京工業大学卒業 略歴1951年、DIC入社 1978年、DIC樹脂事業部長 1979年7月、DIC取締役 1981年6月、DIC常務 1982年8月、ルネサンス初代社長(DIC常務と兼務) 実績斎藤敏一の師匠に1960年代後半、DICの欧州の責任者を務める。 肩書きは、ドイツの工業都市デュッセルドルフでDIC駐在事務所所長。 入社後にスイスに社費留学(スイス連邦工大学の研究室)してきた新入社員の斎藤敏一氏と知り合いになる。 ここで師弟関係が築かれた。 1970年4月、ドイツから帰国。 石油化学事業部長、企画部長を歴任後、海外事業部長に就任。 海外事業部長として斎藤氏を受け入れる1975年、斎藤敏一氏は、化学技術者の道を捨てて、海外事業部への異動を希望してきた。懐の深い入江氏はこれを受け入れた。 さらに1977年、斎藤を海外事業部の営業課から海外事業部の企画課に異動させる。斎藤がプライベートで副業として行っていたカルチャースクール運営事業を、社内の新規ビジネスとして企画させるためだった。 樹脂事業部長として新会社立ち上げその後、入江氏は、ウレタンなどを手掛ける樹脂事業部長に異動。すると、斎藤氏は新規ビジネスの提案の軸を「屋内(インドア)テニス教室」に据えた。ウレタンはテニスコートの床面に使われるため、屋内テニス教室の普及は「ウレタン販売促進につながる」というもっとらしい理由が付けられるからだ。 室内テニス教室の立ち上げを、川村茂邦社長が了承1978年、樹脂事業部の新規事業として、室内テニス教室事業を取締役会に提案する。3代目社長の川村茂邦氏が了承した。 1978年10月、DIC新会社「ディックプルーフィング」が設立される。ウレタンの防水材や舗装材などの販売が目的だった。樹脂事業部の傘下の子会社だった。入江氏が事実上の経営者となった。 1979年4月、この新会社内にスポーツ事業部が設置され、テニス教室を管轄することになった。 斎藤はDICから出向する形でスポーツ事業部企画室長に就任した。 入江氏は1979年7月、DIC取締役に昇格。 千葉・幕張に1号店1979年10月、千葉市幕張にテニススクール1号店をオープン。斎藤氏が自分で見つけたボウリング場跡地の物件だった。 1980年、東京・蒲田に2号店。続いて1981年に千葉県の袖ケ浦、1982年に福岡市の香椎(かしい)にオープン。 1981年6月から常務。 ルネサンス(ディッククリエーション)設立1982年8月、「ディックプルーフィング」からテニス教室事業を独立する形で新会社「ディッククリエーション(後のルネサンス)」を設立。入江氏が初代社長に就任する。DIC常務との兼務。 斎藤氏は企画室長(兼支配人)に就任。 テニス教室を多角化させ、総合フィットネス施設に1981年、千葉・幕張店のコート2面をつぶし、プールを開設する。 さらに後日、建物3階を改装し、ジムやスタジオを併設。スカッシュコートも追加した。 これによって多角的な総合フィットネス施設(スポーツクラブ)へと脱皮した。東京・晴海のドゥスポーツがお手本になったという。 系列企業の社長に入江氏は1985年6月28日、「日本バイリーン」社長に就任。59歳。 日本バイリーンは、不織布メーカーである。当時は大日本インキの系列だった。前任社長の猪股啓二氏も、この6年前にDIC専務から日本バイリーンに移籍し、社長を2期4年務めた。猪股氏が70歳になったことから若返りを図るために入江氏が社長に就き、猪股社長は会長に就任。 死去1991年6月17日午前5時40分、呼吸不全のため横浜市南区の病院で死去。享年65歳。 |
大日本インキの社内ベンチャー
ルネサンスは大日本インキ化学工業(DIC)の企業内ベンチャーとして1979年(昭和54年)に立ち上がった。 立ち上げた人物が、大日本インキの社員だった斎藤敏一氏だ。 最初はインドアテニスからスタートした。 その後、複合スポーツクラブへと転換した。
1982年設立
1982年に法人化した。 ディッククリエーション(現ルネサンス)という会社として設立された。 1991年、肩代わり運営1号店の「スポーツクラブ ルネサンス早稲田」をオープンした。 斎藤氏は2008年に会長になるまで社長だった。
2003年上場
2003年12月にジャスダック(店頭)市場に上場した。 IPOの目的は5つあった。
- 資金調達を多様かつ容易に行えるようにする。
- ブランドイメージを高め、よりよい人材を確保する。
- スポーツクラブと医療とのコラボレーションを進める。
- 土地オーナーらパートナーに対する信用を高める。
- 立地物件の情報収集力を強める。
シニアの会員比率が高い
「ルネサンス」は高齢者(シニア)の会員比率が高いのが特徴だ。60歳以上の割合は1994年(平成6年)は3.3%に過ぎなかったが、上場したころには20%に達した。
平日昼間は高齢者
もともと、高齢者の比率を高めようと狙っていた。 高齢者は退会率が低い。しかも、平日の昼間の利用がほとんど。サラリーマンやOLとのタイムシェアができ、施設の有効利用ができる。 団塊の世代が定年を迎えることで、ますます高齢者のシェアは上がることを期待した。
ルネサンスとは
大日本インキ化学工業の社内ベンチャーから始まった。首都圏を中心にスポーツ施設の運営を手がける。退会率の低い高齢者に着目、シニア会員の会費割引サービスや高齢者向けプログラム開発などを導入した。 本社は東京都墨田区。
